耐震診断の結果を受けて2つの公立保育所が閉園する方針が決まったことに対して、問い合わせなどをたくさん頂いています。

何かが新しく変わる時、不安に思う人の気持ちも分かります。
そういえばあの時もそうだったと思った出来事があるので、思い出しながら紹介します。

私の娘は開校6年目の新設校、東台小学校に通っています。
元々は東原小学校の通学区域だったのですが、我が家も含め近隣に大規模なマンションが多く建設され急速に児童数が増えたため、東原小の分離新設校として東台小が設立されました。

雨が降ると体育館が一杯になり、廊下で体育の授業をやるしかない。
全校集会で体育館に児童全員を集めると、入口が狭いので移動だけで時間がかかる。
理科室や家庭科室のやりくりが難しく、実験や実習が制限されるなど。
マンモス化した東原小学校は多くの問題を抱えていましたから、新設校は地域住民の願いでした。

ところが東台小学校の通学区域が決まった時、近隣に住む保護者から反対の声が上がりました。

それまで通っていた東原小学校がすぐ近くにあるのに、今度は弁天の森という、うっそうとした森の中の坂を超え新しい小学校に子どもを通わせることになったからです。

当時も私は今と同じよう通学区審議会の経緯をブログに書いていました。
議員としてではなく保護者として通学区審議会を傍聴して、その結果を書いたのです。

ブログにはたくさんの意見がコメントとして書かれました。

東原小学校を卒業することを楽しみにしていた。
友達と離ればなれになるからかわいそう。
弁天の森には不審者が度々目撃されているので、子どもを通わせられない。
小さな子が坂を上るのは大変、無理に通わせれば不登校になりかもしれない。
砂川掘にかかる橋のガードレールが低く、子どもがふざけて川に落ちるかもしれない。
など。

さらには、「小学校が近いからマンションを購入したのに、学校が遠くなれば資産価値が下がる。市に損害賠償請求をしたい」という意見もありました。
時にはブログへのコメントだけではなく、私の家のポストに匿名の手紙が投函されていたこともあります。

ところが残念なことに、通学区域の決定に反対する人はブログも投書もすべて匿名。ブログで名前を公開したくないというのは分かりますが、メールは一つも届きません。
私からみれば、どういう方が反対しているのかもよく分からず、直接会話をすることもないのでどこまで切実に考えているのかも分かりません。

次第にブログのコメント欄は、見知らぬ人の不満のはけ口のようになっていきました。
子どもを新しい学校に通わせたいと思っていた私は、それをどう受け止めていいのか分かりませんでした。
通学区域を決めたのは私じゃないのに、批判ばかりが向けられる。何度もブログを閉鎖しようと思いました。

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状況が変わったのは、教育委員会が保護者に対する説明会を開催してから。

通学区域はすでに決まっていましたが、反対する一部の保護者は今までの学校に子どもを通わせたいと主張します。教育委員会は、保護者が何を不安に思っているかを聞き対策を答えます。

もちろん対策を用意していないものもありました。教育委員会が見落としていた部分です。
やはり実際に子どもを持ち、育てている人の意見は貴重です。
対策が足りずに理解が得られていないと分かれば、次の対策も考える必要があります。
その場合は持ち帰り、次の説明会で新たな対策を提案することになります。

その結果、危ないと指摘された橋のガードレールは、子どもが登れない高いフェンスになりました。
マンションからも通学路が見渡せるよう、通学路の樹木は低く剪定されました。
下校時に警備員も配置されました。
説明会で保護者が協議した結果、とられた対策です。

もちろん全ての不安が解消されたわけではありません。
でも実際に会うことで互いの理解は進みますし、保護者の反応はダイレクトに伝わるので教育委員会が思い切った対策をとるきっかけにもなりました。
他の小学校の保護者から見ればそこまでやらなくてもと言われそうなことも、保護者の理解を得るためには必要だったのです。

反対の声はもうブログのコメント欄からなくなりました。
今はみんな、喜んで新しい学校に通っています。

最近になって上級生のお母さんから「あのとき、私、すごく反対したんだよね」なんて告白を聞きました。

彼女が私のブログに匿名でコメントしたかどうかまでは分かりませんが、ずっとブログは読んでいたそうです。
モヤモヤした不安をどこにぶつけたらいいのか、分からなかったと言っていました。
説明会でちゃんと話を聞いてもらえてよかった、何であのとき反対したんだろうねと言ってました。

今回の保育所閉鎖の問題も、同じだろうと思います。
今までの保育所への愛着もあるし、経験していないことへの不安もあるでしょう。
解決していくためには、その不安を行政に伝えて一緒に考えていくことが必要だと思った経験でした。